くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

戦時歌謡という音楽

 

 

日本は大きな戦争を経験しているが、その時に歌いつがれた歌謡曲があった。

 

今ではテレビで取り上げられることもほとんどなくなったが、聞いてみれば耳に聞き覚えのある曲ばかりである。

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「巡検ラッパ~海行かば」 [歌:中川麻梨子] 海上自衛隊 横須賀音楽隊『日本海海戦111周年記念』

この詩を聞いてみると、とても歌謡曲ではないですよね。

 

検索で歌詞を調べてみたらこんなことでした。

 

海行(うみゆ)かば
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行(やまゆ)かば 草生(くさむ)す屍(かばね)
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ
かへりみはせじ

海を行けば、
水に漬かった屍となり、
山を行けば、草の生す屍となって、
大君のお足元にこそ死のう。
後ろを振り返ることはしない

※この歌は、戦死者の名前を放送をする際に
流したので、「悲しい歌:葬送歌」として
捉えている方が多いですが、
歌の意味は、戦いに行く兵士の「決意」を詠った
歌です。

実は個人的に様々な戦没者の供養の儀式に参加させてもらっていますが、その時に必ずと言っていいほどこういった戦時中の歌謡曲が流されます。

 

ほかならぬご供養のための 1つの作法として取り入れられているようですね。

 

他にも曲がありますね。


誰か故郷を想わざる 霧島昇 1970年「年忘れ大行進」より

 

主に南方戦線で戦った兵士たちの愛唱歌と聞きます。

 

こちらも戦没者供養のためのお弔いの儀式でよく歌われるんですよね。

 


「異国の丘」

 

この歌はシベリア抑留で辛酸をなめた兵士たちの愛唱歌

 

シベリア抑留者は数万人規模のレベルですよね。

 

帰って来れた人もいますが、そのほとんどは現地の過酷な状況に耐えられずに死んでいったのです。

 

この厳しい歴史的な事実を加味して歌を聞くと、正直涙ぐんでしまいますよね。

 

最後にこの歌もよく歌われるので紹介しておきましょう。


ふるさと (故郷)

 

大正13年発表の小学生用の童謡なんだそうです。

 

詩の内容が日本人の原風景のような色彩を放ちます。

 

実はこの曲も童謡でいながら、戦時中の愛唱歌だったようですね。

 

これらの曲は皆、戦時中の兵隊さんたちのモチベーションを上げるためのものと言っていいでしょう。

 

音楽が私たちの生活にどのように関わってくるのかを少し考えてみると、つまらないし、古臭いからと言う理由でこれらの歌謡曲を無視する気にはなれないですね。

 

多分生きていく上で、このような励ましに似たメッセージが必要だったのだろうと考えます。

 

これらの曲はどれも皆励ましであり、頑張るための決意表明のようなものです。

 

長年神社関係の戦没者をお弔いするためのボランティアをさせてもらってますが、これらの曲を聞くと、“ご供養させていただく”、その気持ちがより強くなっていくんです。