渋沢篤太夫はいよいよ持ち味を大きく発揮。
彼は武人としてよりも商売人としての方がその持ち味が生きることになる。
役割分担と言ってしまえばそれまでだが、
彼は勘定組頭としてその能力を遺憾なく発揮することになる。
それらは皆、篤太夫の能力を正しく評価することのできた一橋慶喜の取り立てがあったからに他ならない。
時代は1865年、大政奉還に至る3年前のことで、世の中の混迷は頂点に達していた。
実は、歴史で習った様々な事柄はざっくりとしたものばかりで、今日描かれた内容はまるで知らなかったことばかり。
渋沢栄一が一橋家の家臣としてどれほどの働きをしていたのかが今日の物語で詳しく語られることに。
歴史の勉強と言ってしまえばそれまでだが、渋沢栄一の本当の値打ちが明らかにされる。
目次
商いもまた武士の務め
篤太夫が最初に取り組んだのは一橋領内の特産品にどれだけの付加価値をつけられるか。
注目したのは3品目。
米
火薬の原料硝石
特産品の木綿
どのくらいの値段がついたかは別として品物が良くて安定して供給できれば良好な商売になるだろう。
米と並んで硝石は最初に藩の財政を潤すことになった。
苦労したのは木綿
当時の常識として様々な産物を生産する農家は商人たちと直接取引をしていたようだ。
農民たちの常として上手に商売できていなかった。
要するに安く買い叩かれていたのだ。
それは、経済の基本原則のようなもので安く仕入れて高く売る。
その差額が儲け。
実はスーパーで値札のついたものしか買わない私たちにとってこういった原則中の原則があまり理解できていないかも。
どんな場合でも、ものを言うのは交渉力。
篤太夫はその点に着目して、高く仕入れて安く売る、商売の原則に反するようなことをあえて選択。
そのための集積場を設立した。
そしてそのために一番ものを言ったのが信用。
仕入れの時、農民たちにどれだけ信頼されるか。
売るときは商人相手なのである程度押しも効くだろう。
問題は生産者がどれだけやる気を出して品物を作ってくれるか。
そこには信用以外の何者もなかったようだ。
父親譲りの農家とのやり取りで農民たちの信頼を得る方法を最初から身に付けていたと思われる。
禁裡御守衛総督としての苦悩
一橋慶喜は京都に勤めていて、その役目は幕府と朝廷の間を取り持つことも受け持っていたらしい。
そして悲しいかな朝廷にも幕府にも疎まれていたような。
この頃の幕府は既に国を束ねるだけの力はなく、そのくせ諸外国から重要な判断を迫られていた。
将軍徳川家茂の苦悩は頂点に達しようとしていたが、それはすなわち禁裡御守衛総督の慶喜も同じ。
日本がどのように進むべきかは、この当時きちんと理解できていた人はごく少数派だったのかも。
一橋慶喜は当時から二心殿と呼ばれて、周りからはあまり良く思われていなかったような。
しかし、混迷する世の中にあって、全力で立ち向かっていたことが青天を衝けでは詳しく語られている。
歴史的な事実はともかくとして、これに近いやりとりがあったことを私はまるで理解していなかったと思う。
一橋慶喜は幕府と天皇とのあいだでその対応に苦慮していたことがよくわかる。
篤太夫の革新的な試み
画期的な取り組みとして、この当時の経済のあり方に根本から覆すような新たな試みを採用したようだ。
それは今の札のようなものを作ったこと。
我々が使うお金は紙幣と硬貨と2種類あるが、実際のお金とは性格が異なる。
経済の原則と言えばそれまでだが、貨幣経済の中でも、当時行われていたのは実際に値打ちのある金銀を直接やり取りすることで売り買いが成り立っていた。
要するに小判や銀の切り餅が貨幣として通用していた。
結論から言えばこれはかなりかさばる上に、重さも相当なもの。
持ち運びが大変なこと、それをなんとか手軽なものにするために新たな方式を採用しようとした。
それが藩札。
これだけのものを準備して簡単に商売ができるように工夫。
一体どれだけの発想力だったろうか。
またこのような方式にゴーサインを出した慶喜の信用も厚かったに違いない。
薩摩藩での新たな動き
さてこの時代の物語で欠かせない登場人物と言えば薩摩藩の五代友厚。
朝ドラあさが来たでお馴染みになったディーンフジオカが演じている。
彼は朝ドラでかなり有名になったので今回この役柄についてリクエストがあったと聞いた。
物語の中で描かれる五代友厚は薩摩藩の藩士として イギリス等と様々な取引を行っていた。
彼の目的はやはり幕府打倒だったようだ。
いずれこの物語のエピソードで詳しく描かれるだろうが、この当時の薩摩長州にとっては幕府は打倒すべきものとして敵扱いされている。
その流れで物語を見れば、必ずしも彼を味方として受け入れるには若干の抵抗が。
14代将軍徳川家茂急変
14代将軍徳川家茂は心労がたたってついに倒れてしまう。
側近たちもまとまっておらず、征夷大将軍としてその務めを果たせていないのではと苦しんでいた。
もともと政争の道具として採用された苦しい過去がある。
確か即位は20歳前だったと記憶。
何も事情をわからないまま頂点の位に担ぎ出された。
自分自身の位を一橋慶喜に移そうとさえ言い出している。
思うに、びっくりするほど真面目な人間だったに違いない。
決して自分の役割を投げ出すことなく、全力で受け止めようとした。
この時代に生きていた様々な登場人物の苦悩が改めて偲ばれる。
物語は来週にかけてさらに大きなうねりが描かれるものと。