時代は1867年、その翌年には大政奉還が行われて明治維新となる。
時代の変わり目、そんな中、
徳川幕府には欧米からパリ万博への参加を求められていた。
万博会参加する条件としては国王かそれに匹敵する者が同行することが義務付けられる。
日本の場合、国家の最高位は天皇以外にないが、天皇が外国に出向く事はありえないこととされた。
となると、徳川幕府15代将軍徳川慶喜が相当だが、
慶喜は自分の弟昭武を派遣。
その弟の信頼できる側近として篤太夫に白羽の矢が。
ちなみに徳川昭武は水戸藩の出だが、清水徳川家に養子に入り、15代慶喜の後継とされた。
しかし、目論見とは別に徳川幕府の命は果たして3年5年継続できるかは全く予測不可能な状況。
そんな中、歴史は大きく動き出す。
目次
15代将軍徳川慶喜
一橋慶喜にしてみれば、周りの協力が万全でない状態で将軍職を引き受けたとしても決してうまくいかないことを重々承知していた。
最初は徳川宗家のみを受け継いだが、天皇家はそれをよしとしなかった。
征夷大将軍が不在な状態では国がまとまらないことを誰よりもよく理解していたのだ。
征夷大将軍徳川慶喜は朝廷よりの依頼を受けて即位したと言える。
ただし歴史的に見て、1年間在位はしなかった。
この時、朝廷は孝明天皇が在位中だったが、体調がおもわしくなく、その年の内に崩御してしまう。
後を継いだのが明治天皇。
多分この時は慣例にならって今上天皇を名乗ったはず。
亡くなってから明治と呼ばれるようになったものと。
天皇が代替わりする事は、徳川幕府にとっては大きな痛手と思われた。
徳川家に反感を抱く公家連中が明治天皇のバックについて采配を振るおうとしていたから。
物語の中では短い時間しか語られていなかったがこの時に暗躍するのが岩倉具視。
彼が王政復古の大号令をかけて明治政府を組織したと言える。
将軍家の重臣たち
パリ行きの命令が下った後、勘定奉行小栗と内々の密談が交わされた。
パリ行きは万博に出るとの表向きの理由はあったが、実際のところはフランスからの600万フランの借款が最大の目的。
ちなみにこの金額は当時の日本の貨幣価値だと450万両。
とんでもない金額の借入を計画していた。
ちなみに極めて重大な任務には違いないが、どうやら渋沢栄一が承ったものと物語では語られていたね。
結論から言うとこれは様々な紆余曲折があってうまくはいかなかった。
今回のパリ行きは、3年ないし5年の計画だったが、肝心の徳川幕府は翌年すぐに大政奉還してしまうのだ。
歴史は紆余曲折を経ながら当時の登場人物たちの思惑通りには動かなかった。
将軍じきじきにパリ行きを命ぜられる
徳川慶喜の考え方としては、外国からの協力は条件さえ折り合いつけば受けても良しだった。
この時代は鎖国を継続する事は、むしろ時代に逆行するものと良識ある人間たちは考えていたようだ。
ただし、幕府の最高責任者としては徳川幕府を潰すわけにはいかない。
政権を担う組織は大きく変わる可能性はあっても、自分自身が主導権を持って運営しなければいけないと強く願っていたに違いない。
このときの慶喜の胸の内は後継者のこと。
自分自身の弟を後継者に立てていたようだ。
それは自分自身の直接の子供をさておいても、弟を立てたいとの希望をこの時渋沢に語っている。
これはネットで検索した結果だが彼はまだこの時15歳程度だったと思われる。
徳川家のプリンスとしてヨーロッパではたいそう人気だったような。
ただし、このときのパリ万博の参加は薩摩藩などの横槍もあって必ずしも思い通りにはいかなかった事実もあったようだ。
今日の話の最後の方で、パリ行きの様子も詳しく語られていたね。
渋沢篤太夫の役割
パリ万博の参加に関わる主な金銭のやりとりは全て篤太夫の担当となった。
パリ行きの前に小栗忠順から本来の目的(600万フランの借款)も預かっていた篤太夫。
責任は極めて重大だったと言えるだろう。
来週の予告編などを見てもその辺のところが語られるような流れになっている。
調べてみるとパリで幕府の参加に横槍を入れ込んだのは薩摩藩。
この時代、薩摩藩は外国と様々な交易を行っていて、この時活躍していたのが五代友厚だと思われる。
明治になってからも活躍するメンバーなので、歴史的にもかなり有名だろう。
今日の物語ではフランスに行くことが決まった篤太夫の家族たちが二度と会えないかもとの思いを募らせている場面も描かれていた。
演じる役者たちの演技が熱演で、物語の重厚さがより増している。
ちなみにこの時は船旅で数ヶ月かかったとされているが、物語の中で描かれていたのはれっきとした蒸気船だったね。
もちろん帆を張ることもできただろうが、基本は蒸気で運行されたようだ。
さて、今日の物語はここまでで来週に続くとあったが、どうやら薩摩藩の策略などが詳しく語られそう。
すでに歴史上では様々な勢力がプロパガンダによって情報操作を画策していた。