今日は参議院選挙の投開票日で、鎌倉殿の13人は一旦お休み。
大河ドラマもちょうど半分くらいが済んだと思われるので、主人公の北条義時について少し調べてみたい。
今回のドラマはは鎌倉幕府成立等を記録した物語「吾妻鏡」を原作に採用
脚本三谷幸喜で描かれるドラマは、ドラマとしては驚くほど重い内容を扱いながらユーモアを交えた物語展開はわかりやすく、興味を引くものになっている。
今回の物語の主人公は鎌倉幕府の2代目執権北条泰時。
彼を演じているのが、小栗旬。
ドラマの中では年齢よりもずっと若く描かれているような気がするが、当初は13〜15歳の少年の時代から描いていたので、最近になってやっと歳相応な感じになりつつあるのかも。
私が知る限りの北条泰時は歴史上で、はかなりな悪人と記憶。
えげつないことを数限りなくやってきた人物らしいと。
また、主人公と姉弟である北条政子も日本を代表する悪女とされた。
しかし、物語の中ではそんな風には描かれない。
物語を見た限りでの悪党は、間違いなく源頼朝。
彼こそが、鎌倉幕府成立にあたり疑心暗鬼と欺瞞と詭弁で大勢の罪のない人々を粛清した。
北条泰時は、その頼朝のやってきたことをことごとく踏襲していると言える。
武家政権を樹立した北条義時は朝廷にも真っ向から戦いを挑んだ人物として知られる。
そのことについても調べてみたい。
目次
主人公北条義時
もともと表舞台で活躍するような身分ではなく、北条氏の次男だったので、
最初は「江間小四郎」を名乗った。
ドラマの中でも描かれているが、義時にはさしたる野心があるわけでもなく、当初源頼朝と知り合った時はまだ13歳の少年。
どうやら源頼朝が小四郎を気にいったらしい。
つまり最初の源平合戦で負けた頼朝は伊豆に流された時、知り合った義時と同じ位の年齢だった。
頼朝が鎌倉幕府を成立させた頃は、既に30歳を超えていたとされている。
北条義時は頼朝から主に政治的な手腕、さらには軍事作戦などを学んだようだ。
頼朝が亡き後、鎌倉幕府の中心は北条義時が担うことになる。
ただし、疑心暗鬼と様々な策謀の中で、当初合議制の象徴として決められた御家人13人の集まりは、ことごとくが粛清されることとなる。
ドラマの中で出てくる和田義盛、畠山重忠、梶原景時、実の父親である北条時政に至るまで粛清ないしは追放の憂き目に。
生き残ったのは、政子と義時、三浦義村らわずかなメンバー。
この辺の歴史的な流れを江戸時代に入ってから北条義時が悪辣非道な武将であると考察されたようだ。
源頼朝と北条家
鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の正室が北条政子。
頼朝なきあとは政子は尼将軍として幕府内で厳然たる力を振うことになる。
頼朝の亡き後時代将軍に就任したのが源頼家。
しかし、彼といえども、謀反の疑いをかけられ追放される。
さらにはその後を継いだ頼家の弟3代将軍実朝は頼家の子供公暁に暗殺されることになるのだ。
歴史的にもかなり有名な事実なのでほとんどの人が知っている。
北条家は勢力を争っていた比企家をことごとく滅ぼし、幕府の実権を全て掌握することに。
承久の乱
主人公北条義時の一世一代の活躍の場がこの事件だったと言える。
ドラマの中では「承久の乱」と描かれるが、私が歴史で習った時は「承久の変」と呼ばれていたと思う。
この事件は、幕府に敵対していた朝廷側の後鳥羽上皇が戦いを挑んできたもの。
義時はこの戦によって朝廷軍をことごとく撃破。
後鳥羽上皇を隠岐の島に島流し、鎌倉幕府は名実ともに実権を握ることになる。
この時北条義時を助けたのは、大江広元や三浦義村などそれぞれ持ち味を生かした有力御家人が力を発揮。
この事件があった3年後、北条義時は62歳でこの世を去ることになる。
状況を分析すると北条義時は、様々な御家人たちから絶対的な信頼を得ていたと言える。
特に鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻北条政子とのゆるぎない信頼関係が、様々な危機的状況を乗り越えたのかも。
この2人の結びつきは、源頼朝以上のカリスマがあったのかも。
鎌倉幕府は3代目将軍が亡くなった後は実質的な支配者は北条家が継承することになる。
鎌倉殿の13人のこれから
物語のこれから描かれるのは、頼朝の亡くなった後、2代目将軍3代目将軍のエピソードが描かれつつ、13人の御家人が成立し、それらが皆粛清されていく様子。
そして、承久の乱に続くはず。
北条義時は承久の乱の後3年後に亡くなっているので、鎌倉殿の13人はこの辺が最後のエピソードになるのでは。
今日のブログは、本来放送される時間に放送された「英雄たちの選択」を参考にさせていただいた。
歴史物の特集番組は欠かさず見ることにしている私。
様々な専門的な科学分野の第一人者をコメンテーターに選んで、歴史的な事実を考察することは、いつも興味津々で拝見させていただく。