さて、泣いても笑ってもあと10回の放送で終了するちむどんどん。
物語は1984年。
1981年、暢子たちに生まれた健彦は4歳になっている設定。
暢子が沖縄から上京してからおよそ10年が経ったとのこと。
ちむどんどんは沖縄料理の専門店として毎日お客さんがやってくる名店に成長。
およそ仕事での心配は無いように思われた。
賢秀にもどうやら清恵との間に赤ちゃんが生まれそうな様子。
歌子は沖縄に戻って、民謡歌手として大勢の前で堂々と歌声を披露することも。
ドラマの中では、三線の弾き語りで民謡を歌う様子が吹き替えなしで描かれていた。
そんな中、暢子の家族3人は沖縄に里帰り。
実は、智は仕事の本拠地を沖縄やんばるに移動していて、歌子とはしょっちゅうあえる間柄。
ただし、2人の中はそう簡単に進展はしていなかったね。
この2人はお互い 好き合っている事は間違いないので、なかなか進展しない2人を心配した周りがなんやかんやと手を焼こうとする。
今日描かれたエピソードは、和彦の古い記憶も新たな撮影で描かれつつ、青柳家、比嘉家の沖縄での様子が語られた。
目次
繁盛店ちむどんどん
先週からさらに物語は進んで、生まれたての赤ちゃんだった健彦は見る間に成長。
物語の中では4歳の男の子に。
どうやら、ここは沖縄ではなさそう。
『ちむどんどん』は猪野養豚の豚肉を得て納得の料理を提供出来るように。
今日の物語で気がついたのは、矢作が料理人としてしっかり働いていたこと。
そして歌子の姿は既になく、代わりに若い男の子の従業員が働いていた。
わずかながら会話するシーンもあったりして、本場の沖縄料理を食べたいうんぬんを語っていたね。
ちむどんどんは間違いなく繁盛店でしっかりした経営ができているような。
1984年
1980余年の時代背景を考えてみると、この年私はすでに東京にはいなかった。
時々テレビで見るニュースで内地の様子を伺う程度。
Googleで検索したところ、この年は結構な雪が降ったようだ。
東京で降る雪は交通機関に多大な影響を与える。
列車も飛行機もさることながら、大変なのは車。
東京やその周辺を走る車はほとんどが夏タイヤのまま。
要するに冬仕様では無いわけで、とてもじゃないがハンドルなんか握れたもんじゃない。
冬の路面を夏タイヤで運転した経験のある私から見ると、写真にある状況では手に汗握って運転するしかない。
車はアクセルを踏んでもすぐには前進しない。
ブレーキを踏んでも全く反応せず進んでしまう。
ハンドルを切っても全く手ごたえなく勝手に進んでしまう。
この恐怖は味わったものでなければわからない。
ただし、このような路面状況というか景色は主に明け方のもので、日中にはきれいさっぱり融けてなくなるので大丈夫なんだけど。
この写真を見て、正直当時の記憶が蘇ったね。
時期的にはお正月前ではこういった状況は少なめ。
正月後、1月から3月ごろに多くなると思った。
沖縄里帰り
家族3人で里帰りした暢子たち。
子供の頃の懐かしい記憶が蘇る。
物語で描かれていたのは1964年、最初の東京オリンピックの年の頃だったと思う。
今日描かれていた和彦と史彦のシーンはおそらく改めて撮影し直したものだと思う。
この物語を初回から欠かさず見ているものとして、あんなシーンはどこにもなかったはずなので。
暢子は沖縄で、さらに沖縄の地元の野菜のおいしさを再確認。
島らっきょうの浅漬けは見るからに美味しそうだった。
らっきょうは普通においしい食べ物だよね。
もちろん好き嫌いがあるので、一概には言えないけど。
母親とともに改めて野菜の持つパワーが描かれていた。
智と歌子
歌子と智の事は周りもそれとなく心配しているようだ。
誰かが智にどんなつもりでいるのか確かめようとしたところが、質問者に抜擢されたのが和彦。
それがとんでもないストレートな質問で思わず智から周りに口外しないように口止めされる。
やはり、デリケートに思っていることもあって、なかなか行動に移せないようだ。
しかし、物語の流れから言ってもこの2人が一緒になるのは既成事実のようなもの。
そう遠くない将来、2人が意気投合するエピソードが描かれるはず。