kuwa3972の日記1

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

おむすび 壮絶な記憶

物語の核心部分とも言える阪神淡路大震災

いよいよその時の記憶が結を通して語られることに。

私の世代にはほぼ記憶にも新しい大事件だったと思う。

1995年1月17日の後は2011年の3月11日東北大震災が再び起こることになって、その時の記憶も強烈に残る。

物語は2004年の糸島と95年の神戸が同時進行の形で描かれた。

テレビのニュースでも盛んに情報が公開されていた。

今でも鮮烈な記憶として残るのは一斗缶か何かの焚き火に当たりながら無表情におにぎりをほおばる老人の姿、確かおじいちゃんだったと思うが。

その映像を見たときに「ほんとにこれ日本なのか?」

テレビから伝わる映像ながら、あまりの壮絶さに絶句した記憶が。

あの時は会社勤めで、私は朝家を7時20分に出発していた。

7時からのニュースで詳しく状況を把握していたと思う。

今日描かれたエピソードでは、当時5歳から6歳程度の結が幼いながらも記憶に留めていく様子が描かれていた。

友達との会話で、今日は幼稚園休みかな?

これである程度の年齢確認もできると言うもの。

2004年で16歳なんだから95年ならまだ幼女と言っていい。

ドラマの中には、当時の地震のときの様子が詳しく語られていた。

朝夜明け直前だったので、皆 パジャマにジャンバーを羽織った程度の軽装で避難していた。

2004年の内容では、主に結と四ツ木のやりとり。

さらには姉歩の記憶も語られることになる。

神戸の地震のことを考えると暗く寂しそうな表情に。

目次

1995年1月17日早朝5時46分

家族はかろうじて全員無事💦

この時の地震は活断層のズレによるもので、マグニチュードは7程度だったと記憶。

震度が同様に7を超えていた。

直下型の地震としては、当時の最大級の規模。

今日描かれたエピソードでは、ドラマのシーンの中で“地震による映像が流れます”とのテロップが。
神戸の地震も東北の地震もそれなりに配慮しなければとても静止できないような映像が多数。

東北の地震の時、真っ黒い津波が田畑を被い尽くしながら先端で家が火事で燃えている。

この映像もテレビで見たが、正直震え上がった記憶が。

一体どんな悪いことをすればこんな目に合うんだろうかと真面目に考えたもの。

神戸の地震と東北の地震と同じような感覚に襲われたことが今でもしっかりと記憶に。

米田家は親たちがまず子供の無事を確認しに2階に駆け上がってきた。

当然のことながらライフラインと呼べるものも寸断されていた。

夜明け前だからまだ外は真っ暗だろう。

家の中とて電気が通っていないんだから、暗闇の中、手探りってことになるんじゃなかろうか?

壊滅した神戸と避難所生活

町は瓦礫の山

今日のドラマでは描かれていなかったが、神戸の地震の時は火災があちこちで発生。

思い出すこともはばかられるが、実はこの火事の時に消防車はほとんどたどり着けなかった。

道路が寸断されていた。

そして水道の供給も止まったはず。

消火栓が果たして機能したかどうか。

確か6000人を超える犠牲者が出たと思ったが、相当数の焼死者が出たことも記憶に残る。

高速道路が横倒しになったよね😱

テレビの映像でしか見ていないが、落下した高速道路に引っかかるように止まっていたバスの様子も衝撃的。

乗っていた人たちはおそらく生きた心地がしなかっただろう

避難した人たちは、学校とか会館などのようなところに集まったようだ。

まだ、津波のような自然現象が絡んでいなかったことが多少なりとも安心材料だったかもしれない。

東北の時は別次元の大災害だったので。

結と歩の今昔

やっとおにぎりの炊き出し でも冷たい…

震災当時の結の反応がいかにも子供風の内容で涙を誘う。

姉歩は地震が起きたとき、とっさに妹結に多いかぶさって守っていたね。

結の記憶では、姉がのしかかっていたので重いと訴えたことぐらい。

歩はまず妹を守らなければととっさにとった行動。

結の記憶は周りの人たちに守られていたことが思い出せる程度ではなかろうか。

歩は周りの状況全てが克明に記憶に残っているだろう。

9年と言う時間は、10才未満の子供とそれ以上の子供では明らかに違ってくる。

壮絶な記憶

街は相当ひどいことに😱

この当時米田家が所属する商店街では、アーケードを作るかどうかの議論が行われていた。

そして、反対する人は渡辺靴店の店主1人だけ。

そしてそこの娘真紀ちゃんが今日のエピソードの中では安否確認ができていない。

既にネタバレ情報は公開されているので、真紀ちゃんには深刻な事態が。

左から歩 結 真紀ちゃん

2004年レベルのストーリー展開でも歩の記憶の中に震災の時のことがトラウマとなって残っている可能性が強い。

結のメールに答える形でフェスティバル会場を訪れた歩

この当時の壮絶な記憶は経験したものならなおさら。

防災関係の様々な情報が世の中に出るようにもなっていたと思う。

ただ、95年レベルなら、まだガラケーもどこまでメジャーな存在だっただろうか。

どうしてもテレビや新聞、ラジオなどの報道に情報の取得を頼らざるを得ない。

考えてみれば、日本は短期間のうちに2度の巨大地震を経験。

しかし、同時期に熊本でも大きな地震があったよね。

さらに、毎年のように襲ってくる台風など。

「おむすび」では、防災に関わる情報も物語の展開に重要な役割を果たすことになる。