どうする家康はいよいよ今日も含めて残り3話となった。
物語は1614年設定になる。
徳川家康の亡くなる2年前。
家康最後の大仕事がここで挙行されることになる。
それは豊臣家を滅ぼし徳川が世の中の頂点に立つための最終仕上げ。
徳川家康は、幼い頃からいくつもの戦に参加。
その都度生き残って自らの1族の繁栄を画策してきた。
特に織田信長に始まり豊臣秀吉に受け継がれた天下統一の大仕事は、家康によって成し遂げられることになる。
しかし、この時代3英傑と呼ばれる戦国武将の関わりは驚くほど複雑で、簡単には語り尽くせないものがある。
白刃をかいくぐってきた家康は戦いの歴史を自分自身が終結させるべきと考えたようだ。
今日のエピソード展開の中でも既に老齢となった家康だったが、戦の主導権は決して跡継ぎの秀忠に負かそうとはしなかった。
すべては自らの手で攻めを負う。
徳川家康にとって、豊臣家はもはや邪魔者でしかなかった。
彼自身は決して敵意を抱いていたことではなさそう。
問題は豊臣家に集まった浪人たち。
彼らは手柄欲しさに戦の世に戻ることを願っていた。
つまり豊臣がそこに存在すれば、必ず争いの火種を抱えることになる。
そのことを熟知していた家康は、豊臣そのものを排除する以外に問題解決の道はないと苦渋の決断をするに至る。
大阪の陣と呼ばれる戦国時代、最後の戦い。
徳川家康の集大成が描かれることになる。
目次
大阪城の豊臣秀頼
既に関ヶ原の戦いから14年が経過。
あの頃はまだ幼児の豊臣秀頼だったが、立派に成長した若者に。
自らが何をしなければならないのかをよく理解している。
豊臣秀吉の後継者として世の中を束ねることが目標。
父親が中国大陸にまで攻めいろうとしていた志を自らも目指すと宣言。
そのための拠点としての大阪城は難攻不落。
籠城すれば家康といえども攻め落とす事は不可能だと思われた。
関ヶ原の戦い以降東軍西軍に分かれた兵士たちは負けた側がどうしても挽回のチャンスを伺っていた。
大阪城はそのための重要な拠点。
豊臣秀頼はお神輿の上に担がれる大切なご神体となっていた。
徳川家康の集大成
徳川家康は、もともと豊臣家を滅ぼそうとまでは思っていなかったらしい。
最新の研究ではそんな情報も流れてくる。
しかし、戦で雌雄を決する戦いをすれば、必ず勝つもの負けるものに分かれざるを得ない。
豊臣方は関ヶ原の戦いの時の西軍に所属していた武将たちが数多く集まり、妥当徳川を旗印に不穏な動きを見せていた。
それと言うのも西軍の中心とされた豊臣秀頼が立派な青年に成長していること。
豊臣秀頼が存在する以上は、これら浪人たちの受け皿になってしまう。
家康にとって戦乱の世に逆戻りすることだけは避けたい。
妥当徳川にとっての一番の旗印、豊臣秀頼を排除することこそが、自分にとっての最後の大仕事と考えたのは歴史的すう勢だったかもしれない。
既に老齢に差し掛かっていた家康は、この大仕事を決して人任せにしようとはしなかった。
徳川家康を支えた徳川四天王はもういない。
昔から残っていた本多正信のみが最後の供回りとして付き従う。
おそらく、この頃の家康は自分の死期もうすうす感じていたに違いない。
それでも引退して悠々自適にならなかったのは、自らの責任として成し遂げなければならない仕事だと固い自覚があった。
茶々と千姫
茶々は我々が歴史で学んだ時は淀君と呼ばれた。
彼女は自分の息子豊臣秀頼の妻千姫の伯母に相当する。
この時代の血縁関係はかなり入り組んでいて、千姫は徳川家康の孫になるわけで。
大阪の陣は言葉を返せば、身内同士の戦いとも言える。
この時豊臣秀頼は19歳、千姫が16歳になっただろうか。
本来なら順風満帆で家族を作らなければならない若者たちが、家の争いあるゆえにお互いの家系が殺し合いをしてしまう。
物語の中で絵描かれた千姫の苦しい胸の家がストーリーの中で際立って見えたと思う。
自分の義母が打倒徳川の急先鋒となる中で自分にとってのおじいちゃんが関わっているなんてとても受け入れられることではなかっただろう。
この時大阪城は徳川の大砲攻撃によって風前の灯となった。
家康の戦法
家康にとって真田信繁は因縁の相手。
信繁が徳川家康を苦しめることになる。
徳川家康は、この出城を攻略するために大砲の使用を許可した。
大阪城の敷地内に次々と打ち込まれる弾丸。
この破壊力で豊臣の戦意をくじこうとする企み。
攻撃は茶々の世話をする女官たち数名を殺害したと伝わる。
描かれた物語は、大阪冬の陣。
この後、史実では徳川と豊臣が和議を結ぶとある。
そして例の大阪城の外堀内堀埋め立て事件が。
その結果丸裸になった大阪城は夏の陣で完全に滅びることになった。