おむすび 思いやりがそれぞれの悲しみを乗り越える時
今週のエピソードのピークが今日描かれる。
米田家を大きく支配していたトラウマの正体は95年の阪神淡路大震災
「おむすび」は2004年の現在から95年を振り返る形で描かれる。
やはり神戸の地震は衝撃的な結果を伴って大勢の人たちが巻き込まれた。
物語を見ると、脚本家や制作スタッフの懇親の思い入れが伝わってくる。
そして5周目にして、やっと登場人物たちのそれぞれの胸の内がどんなふうに絡み合うのかが少しずつ伝わってきたのでは。
95年の地震の記憶は結と歩の姉妹それぞれに大きな傷となって残ることに。
中学生だった歩のトラウマは結とは比較にならないほど深く痛々しく刻み込まれた。
三日間全く食物を受け付けない歩は周りの人たちを心配させる。
結は幼かったこともあってまだそれほどの痛手は負っていないような。
95年の神戸の避難所の様子も詳しく。
物語のエピソードを大きく進める原動力が祖父永吉と祖母佳代。
2人は自分の思いつくままに行動しているように見えて、
物語の中では思いやりと優しさの象徴のような存在。
永吉はやることが傍若無人なこともあって唐突な印象が強いが、それらは全て家族や被災した人たちを思いやる気持ちから出たもの。
受け入れる人にとってはありがたいことこの上なかったのでは。
そして祖母佳代は思いやりと気配りが一体になって凍りついた歩の心にぬくもりを届ける。
物語は、現在の2004年と95年を行き来しつつ歩が10年近く経った今も95年の悲しみをそのまま相続していたような。

目次
95年震災5日後

物語は阪神淡路大震災の5日後との設定だった。
状況はまだまだ惨状が繰り広げられたまま。
あの当時のテレビのニュースや様々な報道を思い返してみる。
ボードに伝言板なるものが盛んに利用されていた。
そういえばこの頃はまだガラケーさえも、世の中には出回っていなかったかも。
この年は私が今住んでいる家を新築した年にあたるので記憶にも新しい。
携帯電話といっても、肩からバックをぶら下げるような巨大なシロモノだった。
連絡をどのようにするか今では考えられないレトロな方法。

物語の中では、メモ用紙を壁にベタベタ貼り付ける方法がとられていた。
ちょうど祖父永吉が神戸の避難所にやってきたときの様子。
今ならスマホでメールでイッパツで済むのにね。
米田家主の義侠心

物語の中で米田家の主がどんな風な人柄なのかがよくわかるエピソード。
おむすびの最初の頃のエピソードで父親聖人は心配性との設定が紹介されていた。
今日の物語を見て感じたのは、誰かのために身を粉にして奉仕する義侠心の塊のような人だと認識。
神戸のために 困っている人のために何かできる事はないか?
役に立てる事は無いのか?
気持ちはあっても、行動に移せる人はごく限られた人たちだけ。
結や歩の父親として頼もしい限り。
妻愛子が彼を夫に選んだのも、その性格ゆえではなかろうか?
もちろんそんなエピソードは物語の中では1かけらも紹介されてはいない。
おむすびはストーリーの設定を視聴者が積極的に想像することで成立している部分が多い。
2004年米田家での打ち上げ

物語の設定では、2004年と95年を行ったり来たり。

賑やかな打ち上げパーティー。
永吉の傍若無人とも言える人集めの方法は、地震で傷ついた人たちにとってとって迷惑なように見えて救いだったかもしれない。
不幸な事態を経験すると、人はなかなか気持ちをリセットできないもの。
悲しみにずっと立ち止まったままでいるのは、その人のためにも決して良くはなくてどんな形にせよ前を向かなければならない。
当然配慮が必要だとは思うが、大勢の人たちの中でどんな方法が的確なのかは会話をしてみなければわからないことだらけではなかろうか。
2004年と95年

95年当時震災の後、歩は親友真紀が亡くなったことを知るとそこで時間が止まってしまう。
人は限界を超えて悲しい体験をすると呪縛に囚われてしまう。
歩のその後の行動は糸島に行ってからも続いたようだ。

物語は95年から2004年まで一気にジャンプする。
今日明らかになったのは歩が実は1番深い心の傷を負っていたこと。
9年たっても傷が癒されている事は全くなかった。

歩の心の傷をもし癒せるとすればどんなことがあるんだろうか?
歩は伝説のカリスマギャルとしてもてはやされた過去がある。
それはおそらく大震災を経験した後からのエピソードになる。
そして歩の様々な発言を思い返してみるとギャルは彼女にとって必ずしも希望した活動ではなかったってこと。
どうやら周りの人たちに勝手に作り上げられたイメージだった可能性が。
今週のエピソードは明日と明後日二日間あるが最終的な落としどころは全く見えてこない。