今週のお題「理想の老後」
実は昔から憧れていたことがある。
歳をとって、どこかの海辺で夕日を眺めてそこで感想を述べる。
間抜けな話だが、セリフも決まっている。
「…何もかもが美しい…」
多分、映画か何かで見たお年寄りのセリフにこんなのがあったはず。
しかし、理想と現実はまるで違っているのかも。
目次
現実はどうなの?
昭和28年生まれの私、すでに65歳を過ぎ 概ね仕事からはリタイヤ。
しかし幸運なことに、わずかばかりだが長年務めたサラリーマン時代の恩恵で年金が支給されていること。
と同時に、役所関係の仕事をしていたので今でもピンチヒッターの声をかけていただいて、月に何日かはアルバイトをさせてもらえる。
また、地域のために何か貢献できないかと始めたボランティアが、いろいろな人の協力もあって時々声をかけていただけることに。
私の現実だが、生活それ自体を考えると、やはりお金に窮屈。
仕事さえさせてもらえれば、まだ何とかなりそうなものだが、実際は年齢から考えても、新たな仕事は考えにくい 。
年寄りとしてふさわしい人生をと考えてはみるが、自分にとって何が理想的なのか、未だに不明。
気持ちの上では、まだいろんな物事に反応するし、腹を立てる事は少ないが嬉しいこと悲しいことなどは若い時と変わらなく感じているのかも。
ただし、体力的な落ち込みは甚だしいものが。
何度か大きな病気をしたので、その都度トラブルを体に抱えて生きてきているが、病気をするたびに体力がなくなってきている気がする。
かつては軽々持ち上げられたものが、今ではとても無理な状況。
年相応と言えばそれまでだが、やはり衰えは残念に感じてしまうもの。
実は、なるべく1人でひっそりとおとなしくしたいと考えつつも、現実はそうでもなさそう。
これから先の事についていつも考えるが、どうやって自分の後始末をするかを模索している状況。
何か変わった事は?
年金で収入を賄う生活に。
何十年も給与所得だけでやってきたので、働かなければお金が入ってこないという刷り込みが自分にはできている。
今、頂けているわずかばかりの年金は自分が働いてきたことの対価なのだろうか。
いつも思うが、多い少ないを誰かに訴えてみたところで、何かが変わるわけではない。
昔から貧乏暮らしだったのでお金がない事はある程度慣れているが、歳をとってから、つまり65歳を過ぎてからは収入がさらにまた一気に減っていく。
特に、今年は昨年まで働いていた実績があって、その実績に基づいた課税がされているので、その税金やら保険やらの支払いが毎月極めて重い。
わずかばかりの年金は私の目から見るとこういったショバ代でほとんどが消える。
まず
- 市民税。
- 固定資産税。
- 健康保険。
- 介護保険。
ざっと挙げただけでこれだけのものが課金される。
その人の前年度の収入にもよるが、私の場合は今言ったような感じで、具体的な数字はあげないが、年金のほとんどが消えてしまう。
今、私がある程度生活費に回せる収入は、時々声をかけていただけるアルバイト。
これが月にわずかだが生活費の足しになっているようだ。
歳をとる事は決して恥ずかしいことではないが、巷では“老後破産”なる言葉もあるくらい。
生活が成り立たなくなる人も多いと聞く。
私の場合、まだ生活が成り立っているのでよしとすべきなのだろう。
年取ってからの特徴で、意外と自分の内側には目を向けないものだと。
周りから入ってくる情報に一喜一憂してしまいがちだが、自分の身の丈をしっかり考える時間が絶対に必要だと。
今は情報過多の時代。
入ってくる情報を精査しないと、偽物やまがい物の情報も山ほどあるのだ。
そういったことに左右されていると生活が成り立たない以前に 自分自身の人としてのアイデンティティーが成立しないと思う。
理想的には“のんびりゆっくり”。
もともと私はせっかちな性格なので、どうしても何でもとっととやってしまいたくなる。
そのくせぐうたらで、甲斐性なし。
この辺のちゃらんぽらんさが、今、私がお一人様でいる最大の理由なのかも。
これから先はある程度開き直りも含めて、マイペースがいいのかなといつも思っている。
ささやかな希望
きちんと片付いた部屋でこのような御膳が目の前に出てきたら、それは何よりも嬉しい。
お一人様なので、食事の支度は全て自前。
長い間自分で料理をする癖がついているので、料理自体で苦労することなどほとんどない。
ただ、めんどくさいと感じることが多くなった。
どうしても、一品作ったならばつまみ食いを始めて、きちんと器に盛って食事をすることがないのだ。
したがって食卓テーブルに座ってゆっくり食事をすることが皆無。
片付かない部屋に住んでいるので、そのようなスペースもないわけだし、ほとんどが行き当たりばったりの日常。
しかし、希望を言えば故郷の景色を見ながらゆったりとした時間を過ごしたいこと。
子供の頃からこの景色が美しいものだと実感してきた。
今は海のない地域に住んでいるので、このような景色を見るチャンスは無い。
ここからは車で2時間ほどの距離なのだが、さすがに夕日を見るためだけに出かけるだけの意欲は持ち合わせていない。
生活に汲々としているようでは、なかなかこのようなのんびり感は味わえないだろう。
多少なりとも収支関係が改善できるのなら、このような状況に自分の身をおきたいと最近特に考えるのだ。
結論として言えること。
私はまだまだ年寄りとして煮詰まっていない。
多分、まだ何年かは試行錯誤を繰り返しながら、年寄りらしからぬ若者チックな悩み多い人生を過ごすのかも。