麒麟がくるは本能寺の変まで残すところおよそ10年間の物語を描く形に。
このわずかな時間の間に、織田信長は畿内のほとんどを平定することに成功していた。
その方法は合理的精神に基づいた緻密な兵法と卓越した経済理論。
また誰もが感じているであろう人使いの巧さも、群を抜いていたものと思われる。
もちろん様々な軋轢の中で自分のポリシーを貫こうとすれば必然的に激しい抵抗に合うのも事実。
時代背景から考えてみても、誰が敵で誰が味方かなのかははっきりしているようでそうでもない。
寝返りや突然の襲撃などあらゆる緊急事態に備えられたものこそが生き残れた。
目次
織田信長をめぐる戦線
この時代の争いは織田信長が勢力を拡大しつつある中、旧勢力が織田の台頭を許さないことで、様々な戦線が張られることになった。
基本、美濃を中心とした勢力織田信長は、京都までの道すがらで戦を繰り返していたと言える。
しかし、戦いの場はそこだけでは済まなかった。
琵琶湖の北部、越前や、近江国でも戦いは飛び火したようだ。
特に誤算だったのは越前朝倉と近江浅井が手を組んだこと。
浅井長政は織田信長の弟分のはずだったが、突然反旗を翻して信長に歯向かうことに。
これらは1国同士の争いではない。
それぞれ連合軍を組織し、
織田信長は徳川家康との連合軍。
朝倉義景は浅井長政と連合を組んだ。
そしてもう一つの特徴は、戦いは1度では済まなかった。
何年にもわたって繰り返すことになる。
歴史的には最終的な決着を迎える事を我々はよく知っているが、この1570年から1580年に至る時代は戦に明け暮れた時代とも言える。
武器調達をめぐるエピソード
織田信長が武器調達で堺の商人を利用していた事はよく知られている。
彼は鉄砲の弾薬とか火薬等も全て堺で輸入物を調達していたようだ。
鉄砲本体はこの時すでに国産のものが出回っていて、数百挺単位で発注していたようだ。
この物語の中では今井宗久がその役目を担っていた設定で、史実通りだとも言える。
今日の物語で語られていたのは鉄砲を調達するのに、短期間で注文が集中した場合、希望に添えない場合があるとのことで、それはお客さん同士が話し合いで誰の手に渡るかを決めなければならない。
今日初めて筒井順慶が登場。
彼は松永久秀と仇敵関係にあったが、織田信長を尊敬する点で共通していたこともあって、今回の物語では鉄砲の購入を明智光秀に譲る形で決着がついていた。
この辺のやり取りも実に丁寧に描かれている。
明智光秀の持ち味として、様々な折衝に対応する力が挙げられるだろう。
彼はその能力を生かして多くの取引を画策したことでも知られている。
織田信長はこのような光秀の能力を高く評価していて、またその力をあてにしていたようだ。
後の豊臣秀吉なども、この頃光秀と知り合って様々なノウハウのやりとりをしていたとも言える。
木下藤吉郎はこの頃からもうすでに、人の心を読み解く力がずば抜けていた。
彼は人たらしで有名。
相手が何を欲しているかを瞬時に感じ取る力があって、さらにまた情報の収集能力にも大いにたけていたと言える。
この頃の武将にとっては危機管理能力が常に求められていた。
そして、裏切りなどを含めた様々な事態にもすぐに対応できなければそれはすなわち自分の命がなくなることを意味していた。
将軍足利義昭の勘違い
足利義昭はもともとは興福寺の御門跡。
お坊さんだったので武家の頭領としての経験値はほとんどない。
その彼が室町幕府を再興するにあたって、様々な武将たちの力を借りることに。
特に織田信長の力を借りた事は彼にとって果たしてどれだけの価値があっただろう。
可能な限り戦を避けたいとは思っていたようだ。
しかし、将軍としての存在は戦から離れて過ごす事は周りが許すはずもなく。
知らず知らずに大義名分として“世の中を平かにするための戦”を受け入れていくことに。
求められれば、戦いの場に赴く。
そして、戦いの仲裁役として全国に散らばる数多の武将たちに様々な書状をしたためていたことも挙げられるだろう。
特に、徳川家康は甲斐の武田信玄などとつばぜりあいを繰り広げていたが、将軍義昭の様々な行動は筒抜けになっていたとも思われる。
こうした中で将軍家は徐々に戦の中に取り込まれていくことになる。
この時代明智光秀は家族を京都に呼び寄せている。
麒麟がくるでは2人の女の子がいる設定になっているが、実際は女の子は3人はいたはず。
ただし、記録がしっかり残っていることではないので、説として様々な議論はなされているようだ。
この物語の中では子供は2人との設定。
ちなみにこの2番目の女の子が後に細川ガラシャとして芦田愛菜ちゃんが演じることに。
家族をめぐる物語も残りの放送で詳しく描かれると思われる。
明智光秀は基本的には家庭人だったので、側室を設けることもなく妻煕子と娘たちを溺愛した。
いよいよ比叡山焼き討ちへ
織田信長のやり方だと、賞賛するものもたくさんいる代わりに敵も多かった。
あの朝倉義景は比叡山と手を組むことに。
比叡山は天台宗の総本山だが、この当時は兵力を保持していて戦国大名といえどもうかつに手を出すことなど叶わなかったのだ。
そのぐらい強靭な兵力を保持していたと言える。
来週はいよいよこの比叡山の焼き討ちが描かれるようだ。
最新の研究ではこの時に大活躍していたのが明智光秀とされている。
実際には、比叡山全山を丸焼けにしたわけではないとの説明がある。
明智光秀が巧みに折衝をしてそれぞれのメンツが立つようにうまく画策した。
このときの功績でさらに光秀は名をあげることになる。
織田信長の敵対勢力は、戦国大名だけではなく、比叡山や石山本願寺のような宗教勢力もあげられた。
むしろ宗教勢力の方が大名たちよりもはるかに手ごわかったに違いない。
そしてこれらの戦いの果てに、武田信玄殿長篠の戦いなど様々な有名な武将たちとの戦いが描かれることになる。
本能寺の変まではとにかくあといくらも年月は残っていない。
麒麟がくるでは果たしてどのような描かれ方になっていくのか。