つい何日か前金曜ロードショーでやっていた福島原発事故に関わる映画
Fukusima50
あの映画がどれほどの思い入れで作られたのかは、見ていて大いに納得。
当時の状況を綿密な取材に基づいてリアルに再現していたなと感心。
原子力発電所はもともと石油に代わる熱エネルギーとして注目され採用されていた経緯がある。
しかし近年になって様々なリスクとも言える弊害があらわになることで、その存在意義も問われると言っていい。
石油エネルギーの代わりになるのかどうか。
カーボンニュートラルを2050年に達成するとの目標だが、果たしてどれほどの取り組みをすれば達成できるのか、私なりに考えてみることに。
目次
東日本大震災と福島の原発事故
とにかくテレビで見ていた映画の生々しさが今でも記憶にしっかり残る。
出演していた俳優陣も素晴らしかったと言えるのでは。
日本を代表する著名な俳優たちが惜しげもなく出演していて、またみんな熱演。
描き方のニュアンスとして特徴となるべきものがあったと思う。
それは電力会社の経営陣と、当時の行政のスタッフがほとんど現場のことをわからずに、ただうろたえて事態を混乱させていたこと。
特に内閣総理大臣と官房長官等はテレビでしょっちゅう見かけていたので今でもはっきりと思い出せる。
あの時よく会見で顔を見せていたのが今の立憲民主の枝野さん。
総理大臣は言わずと知れた菅直人さん。
彼らが原発事故の収束に向けていささかの貢献もしていなかったことがよくわかった。
断片的な情報ではネットや週刊誌で散々知らされていたので、驚くほどのこともなかったのだが。
ふと考えたのは彼ら以外の人たちが担当だったら結果はどうだったのだろうかと。
おそらくほとんど変わりはなかったのでは。
この当時流行った言葉が想定外。
しかしそんなコメントに関係なく日本全国民が被害を被ったのでは。
想定外であっても想定内であっても、自然災害も人災も容赦なく襲ってくるのだ。
ネットで検索してみると福島原発の廃炉に向けた作業は2041年から2051年にかけて終了とあった。
但し書きが付いていて、順調に行った場合とあったね。
すでにコロナ騒動で順調には行っていない。
担当している人を批判したところで何も始まらない。
必死でがんばっている当事者の皆さんにひたすらエールを送るばかり。
脱炭素を知ることになった私の記憶
多分40年近く前に読んだ本だと記憶。
この出版社は農文協と言って一般的にはあまり知られていないと思う。
しかし、初めてこの本を読んだときに驚くほど興味深くで複数回読んだ記憶が。
この当時の認識では石油はやがて枯渇するともっぱら言われていたが。
これを乗り越えるための方法を模索していたようだ。
そして様々な考察があった中で、原子力についても詳しく述べられていた。
原子力は脱炭素の象徴には絶対になりえないと言うこと。
今でも発電所の宣伝文句にはクリーンで安全なエネルギーと歌っている原子力。
私のような素人でもそれが真っ赤な嘘なことをよく理解している。
原子力発電所を建設するために一体どれほどの資材や労力が投入されるだろうか。
それらのものはすべて石油によるのでは。
つまり原子力が稼働する以前に莫大な石油エネルギーが消費されていると説いていた。
そして、この本の中で説かれていたのは原子炉には耐用年月があって必ず廃炉に伴う作業が避けて通れないのだと。
さらに、たいていの原子力発電所がそういった経費をほとんど計上していなかったらしいのだ。
今でこそ、そんな議論もちらほら聞かれるようになったが、問題は燃えかすとなった核燃料。
これがまたとんでもない厄介な問題で、どこに捨てるのか、どこに保管するのかさえ未だ決まっていない。
今現在、原発が稼働している以上は絶対に避けて通れない問題。
この本の中では、
原子力は決して安上がりなクリーンエネルギーではないと断じていたね。
脱炭素は驚くほど過酷なノルマ
脱炭素に向かうためには新たな技術革新が絶対に不可欠。
石油エネルギーに取って変わるものを構築する必要があるのだ。
研究課題は驚くほど大きく深刻だと言わざるを得ない。
様々な国が協定等に基づいて脱炭素を目指している事は誰もが知っていることだが、当然のように足並みが揃わない。
アメリカ等は一旦は協定から離脱して、今回また戻るといったレベル。
他の国も私が見る限り同じような振る舞いにしか見えない。
皆自分の利益を優先させるので、足並みが揃うこともないのだろう。
今の石油エネルギーを消費する事でよく言われるのは、すなわち地球の平均気温をじわじわと押し上げていること。
どうやらそれは本当だろうと。
よく科学者たちが地球は今は小氷期に入っていると公言してはばからない人もいる。
つまり流れで行けばこれから寒くなるのだよと。
多分、嘘だろう。
グリーンランドやツンドラで氷がどんどん溶けていっている様子をテレビのニュースなどでもよく見かける。
温暖化ゆえではなかろうか。
中国のヒマラヤの麓では氷河が溶けて部落が洪水によって押し流されたとニュースで見かけた。
また実感するのが、年々気象が極端な側に変化しているのではないかと言うこと。
つまり大雨を始めとする台風や、大雪など。
昔から数は少ないがそれなりにあったとは言える。
しかしここ最近では毎年ではなかろうか。
石油文明の次は何かで語られていた中で、温暖化が進むと気象は激しく変動する方向に傾くとあった。
今まさにそんな状況で、これからの気象異変は想定外のことがさらに増えるのでは。
未来につなぐための自覚
ちなみに今の文明は間違いなく石油を中心とした化石燃料社会。
これを変換するためのエネルギーたるや膨大だろう。
簡単に変換するとは言っても、今我々が消費している膨大なエネルギーを何に置き換えるか。
省エネは言われ続けてからもう何十年も経っている。
車などの燃費も然り、また電力などもその筆頭になると言える。
しかし、システムそのものを変えて炭素に関わることをゼロにしようと言う目論見。
急激にできることなどありえないので、さまざまな試行錯誤を繰り返していろいろ試さなければならない。
私が聞いた中で最も妥当だなと思った方法がある。
それは太陽と土と水による生活を今一度見直すこと。
大地にこそ生きるための様々な可能性が秘められているのだと。
単純な私でも家庭菜園をやるので、その理屈はなんとなく納得。
夏の間は私は野菜の購入が極度に減ることになる。
それは猫の額ほどの庭でとれる野菜が食卓に上がってくるので。
ささやかだがそういったことが出発点になるはず。
今更だが、おそらく基礎研究から始めなければならないことがたくさんあるだろう。
そういった時代を担うための研究にいささかの支援を呼びかけられれば、個人的にはやぶさかではないと思う。
今住んでいるこの地球が、私たちの時代で使い物にならなくなるようなことだけは絶対に避けなければならない。
今回の映画を見ていて考えたのはそういったこと。
細かい部分で様々な情報を調べてみたが、今回は大まかなことのみにとどめる。
遠い将来、私たちの子孫たちに後ろ指を刺されることだけはなんとしても避けたい。