鎌倉幕府は源頼朝亡き後2代目頼家が後を継いだが、幕府の政を運営するために準備された13人の御家人たち。
それらの御家人たちは勢力争いに終始し、やがてはメンバーが1人ずつが欠けていくことに。
すべては疑心暗鬼と欺瞞詭弁によって、本心は隠され、それぞれ自分自身の利益のみが優先される事態に。
その中で大きく対立していた北条と比企。
二大勢力の対立によってさらに粛清が進み、
今日の物語で粛清されたのは源頼朝の弟 阿野全成
そこには、しかけられた罠によって幽閉されてしまう全成が鎌倉を所払いとなったあげく、
ついには誅殺されてしまう。
犠牲の影で暗躍していたのは北条時政と比企能員。
2人は自分の勢力争いのために手段を選ばぬところまで進んでしまっていた。
全成だけではなくその妻実衣にも命の危険が。
力を持った御家人比企能員は自分自身の勢力拡大のために虎視眈々と情勢を伺っていた。
だが、彼が画策した様々な罠は北条義時の察するところにより、抜き差しならぬ事態を引き起こす。
物語は原作の通り描かれているが、日本の歴史は物語を見ても感じるが、人の命がこれほどまで軽く扱われるとは。
自分の要求を満たすためには身内といえども命を奪う。
恐るべき呪われた時代が繰り広げられていた。
目次
阿野全成への追求
物語の中では偶然祈祷のための人形が見つかったとされた。
この時、素早く動いたのが比企能員。
彼は全成が源頼家調伏のための祈祷を行ったと判断。
阿野全成を幽閉して厳しく追及。
全成は鎌倉殿の叔父にあたる存在だが、それを無視できるほど比企能員の権威は強かったと言える。
周りから意見を吹聴される頼家は自分が呪われていたと錯覚。
事実この頃、源頼家は体調不良で寝込むことも多かったようだ。
実際は20歳そこそこの若者だったはずだけど、健康には恵まれていなかったのかもしれない。
それにしても阿野全成は物語の中では北条時政に頼まれて仕方なく祈祷したにもかかわらず、北条の名前は一切出さなかった。
自分の身の不徳が招いた災難と受け止め、厳しい追求にも必死で堪えていた。
その追求は全成の妻実衣にも及ぶ。
つまり、あまり野心が感じられない全成は妻にそそのかされて祈祷したと噂話が出る始末。
事件の黒幕はこの物語の流れで行けば北条時政とその妻りく。
特に物語的に悪人として描かれているのは宮沢りえ扮するりく。
明らかに夫よりも頭が切れて、悪知恵も働く。
彼女も自分自身の欲得のためには、身内の事などどうでもいいと言う考え。
この当時の人たちの心がなんとなく見え隠れする。
源頼家と比企能員
将軍頼家は、自分に擦り寄ってくる比企能員も基本信じていなかったような。
土地の境界線について様々な申し立てが幕府の政の中で大きな労力となっていた。
御家人たちにとっては自分の領地ほど大切なものはない。
それに、他人の持ち物は欲しくて仕方がない。
つまり子だくさんの家族で、子供がそれぞれの食べ物の多い少ないで喧嘩をしているようなもの。
実はこの作業は結論が出にくいだけでなく、煩わしいこともこの上なかった。
頼家がこの時、比企能員に言い渡したこと。
お前の領地上野の地を御家人たちに全て分け与えよ
豊臣秀吉や信長家康の時代よく行われた領地替えと呼ばれる作業は鎌倉の頃から盛んに行われる傾向に。
様々な申し立てに対して幕府が英断を下す目的で、まず比企能員が御家人のトップとして見本を見せろと言う事だったらしい。
自分の領地を差し出せと言われて、はい分りましたなんて軽々しく言えるはずもなく。
脚本の巧みさもあって、比企能員が追い詰められていく様子が描かれていたね。
改革に熱意を示す源頼家だが、御家人たちのバランスを取る点では、力不足。
自分勝手な暴走をすることが多かったのかもしれない。
鎌倉幕府はどれだけ御家人から信頼され、命令に従ってもらえるかでその値打ちが決まる。
最初から大きな試練に立たされていたと言える。
北条対比企
比企能員は今の鎌倉殿の後釜は、自分が乳父になっている一幡を押していた。
そうすれば、自分は次の鎌倉殿の外祖父と言うことになる。
そして、やがては朝廷に取り入って全国を支配することも可能だと考えていたらしい。
そのためには、北条など邪魔以外の何物でもないが、北条義時だけは、非常に頭が切れるので自分の見方に取り入れておきたかったと。
そのことを真っ向から否定する北条義時。
義時にとって、北条も比企も重要ではなかった。
幕府を中心としてどれだけ国がまとまることができるのか。
そのことを必死で模索している最中。
北条と比企の勢力争いも、きちんとした落としどころを見つけて決着をつけなければいけない。
全成 粛清
全成が比企能員の画策によって、粛清される様子も詳しく描かれていた。
刺客に選ばれたのは八田知家
彼らが自分の意思で、行動したように見せかけて実際は比企能員の思い通りになったと言える。
邪魔者は排除する、それが戦国時代の習わし。
比企の未来
比企は遠くない将来、粛清される。
そして歴史年表を調べていて分かったことだが、2代将軍源頼家はまもなく病気で失脚することになる。
その後は、鎌倉を追放された後、暗殺されることになる。
そしてその彼が自分の跡継ぎと指名していた自分の息子一幡は北条義時が粛清することになる。
鎌倉殿の13人は次々と粛清されて、今いるメンバーのほとんどは物語から退場することになる。
そしてその退場に重要な役目を持っていたのが北条義時。
彼が歴史的に見て極悪人として伝わっているのも何となく理解できる。